今のままでも



ギリシャから帰国して3日目の午後、道端の小さな段差につまずき転倒。なぜか顔を大きく擦りむき、上の前歯の先(内側なので目立たないのですが)がかけるほどの怪我をしました。


時間はちょうどお昼時で、通りがかりのイタリアンレストランのランチメニューの看板に気を取られたその直後、道路に張り付いている私がいました。


恥ずかしさですぐに立ち上がったのですが、前から来た女性の2人連れの方に、「大丈夫ですか!? 気分は悪くないですか?」と心配して声をかけてもらうほど・・・よほど派手な転び方をしたのでしょう。


「血が出ていますか?」と私。
「あちこち擦りむかれてますよ。」


顔がひどくヒリヒリし、右足の膝の辺りにもジーンズの上からも血が滲み、痛みもあります。


とにかく状況を確認するため、近くのファッションビルのトイレに向かったのですが、鏡を見てびっくり!!
右頬に2cm四方、眼と眼の間、鼻のてっぺん、そして口と鼻の間を大きく擦りむき、唇は倍くらいにはれ上がり、見るも無残な状況です。
まるで殴られたみたいで、「どおりでみんなにじろじろ見られたはずだぁ〜」と妙に納得。


濡らしたハンカチで傷を軽く拭きながら、思いついた手段は「マスクを買おう!!」
とにかくマスクを買うために薬局へ向かうことにしました。


薬局の場所を聞いた駅員さんが驚き、「とにかく中で消毒でも」と言ってくださる言葉に甘えさせてもらい、駅員さんの温かい優しさの中で、擦り傷の応急処置は完了。
本当に感謝です。


その後無事マスクを購入したのですが、頬の傷は全部を隠しきれない位置に存在しています。・・・が、何とか怪しくはない。
その日から5日間はマスク着用が義務ずけられているような生活となりました(笑)


たまたまその直後に、アロマのセッションを予約していたので、その顔でとにかく訪れ、転んだときに無意識に入った身体の緊張を和らげたり、冷却し痛みを緩和するようにアロマを塗布するような応急処置をしてもらったのですが、そのお蔭で翌日の身体の痛みやだるさは感じず、ただ傷の回復を待つこととなりました。


自分でもアロマを使って回復を早めようと、傷にはティトリーやラベンダー、足の打撲にはペパーミントやウインターグリーン、ヘリクリサムなどをを用い、メディカルアロマを実践。
アロマのお蔭で打ち身の腫れや傷の治りも早く、6日目にはすっかり顔の腫れも引き、かさぶたも取れて普通に化粧が出来るようになりました。


でも今思えば、顔は少しひどかったけれど、私にとって大切な手は小さな擦り傷だけにとどまり、骨折なんかにならなくて良かったし、うちどころが悪かったらもっと大変なことになっていたかもと思ったら、これくらいですんで良かったと不幸中の幸いを祝う気持ちにさえなっています。


私はずっと、なぜ転んだんだろうって考えていました。


もちろん疲れていたとか、よそ見をしていたとか私の不注意には違いないのですが、これは最近感謝の足りなくなっている私への「ゼウスの御仕置き」かも!?・・・なんて思ったりもして(笑)
普通であることのありがたさを確認する出来事だったような気がします。


顔を洗うのも傷が浸みて痛くて、いつも普通にしている洗顔すら思うように出来ない。
翌日はフランスパンを食べたら歯茎が痛い。
足が痛くて、階段が大変。
傷はもちろん、口元の腫れはまるでアヒルちゃんのようで、マスクをしないと人には会えない。
今まで私はとても満たされていたのだということを実感したのです。


朝起きて、普通に動けて、行きたいところに行けること。目が見えること。耳が聞こえること。話せること。普通に顔が洗えること。自分の歯でちゃんと噛み、おいしく食事が出来ること・・・当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないのだということを、忘れていたような気がします。


最近は鏡を見るたび、歳を重ねた自分の顔に不満を感じてうんざりしていたけれど、マスクを外して再び化粧が出来た時、この顔でいい!!と、いつも見慣れた自分の顔がいとおしく思えたのでした。


今は、右足の傷がまだ少し痛いのですが、ほぼ元に戻り、前と変わらない状態になりました。。


人は与えられていることに慣れ過ぎるとそのことが当たり前だと思ってしまい、感謝の気もちを忘れてしまうんだなぁ。
普通に生きていること、そのことだけでとても恵まれたことなんだと、不満が多くなりかけた自分への戒めの出来事だったような気がします。


今ある自分の顔を愛し優しくしてあげようと思えた、ちょっとヘビィーで、痛〜い体験でした。